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1000年生きる【休憩中】

だから花火に行きたいんだってば。

①塩の上を走った一日目とはうってかわって、

二日目以降は砂漠の上をひたすら走る。

岩だらけの道だから死ぬほどしんどい。

休憩が三時間に一回くらい。

トイレはない。というか、全てがトイレ。





②山がかなり低く見えるでしょ。

この土地自体が標高4000くらい。

空がほんとにちかい。



③風が強いと岩の形もこうなる。




④火口付近まで覗ける活火山。

たしかこの辺が最高地点で5000近かったんじゃないかな。





⑤あちこちに点在する湖は全てミネラル含んでて、

すべて変な色してる。この湖は、わかりにくいけどもちょっと表面が赤い。

ちなみに周りの緑のは苔。ふさふさやけど。



⑥ドライバーさんもひとやすみ。



⑦こちらは緑の湖。

表面が緑色に覆われてるけど、これが徐々に広がって、

ほんまに鮮やかなエメラルドグリーンになる。



⑧ドライバーさんとコックさん。

女の人の、帽子プラス膨らんだスカートってのは昔ながらのボリビアンスタイル。



⑨最後の方に寄った渓谷。

わかるかなーほんま垂直下に川が流れてて怖いくらい。

風がすごい強くて落ちそうだった、、、、。



⑩そしてボリビアの教会。これは門なのだけども。




ざっと風景だけお送りしましたけども、

ほんとにこの三泊四日のジープの旅は、今回の全行程通してハイライトの一つ。

見る風景全部が絵になって、なんて言ったらいいんだろ、

ほんと一人で見るのがもったいないと。

ぜひパノラマで見て欲しかったな、、、。


精神的に結構つらかったのもこのへんだったかな。

でもここ乗り越えて強くなった気はするw


夏だーしつこいくらいアピールするけど夏だー

切ないですね、なんでだろ。

海行きたいなぁー。

こんなに海好きになったのは、なんでだろ。

窓開けたらやばいくらい風気持ちい。


バーゲン、浴衣、水着に花火、

ビール、ひまわり、海、お祭り、

浮き足立ってそわそわそわそわ、


旅行、ドライブ、電車でがたごと、

無駄に込んでるKIX、船でのんびり、

どれでもいいけどそわそわそわそわ、


そぞろ神に心奪われ

今日はとにかく落ち着かないや。

明日からちゃんと座ってられるかな。

七月やん!!

夏やん!!浴衣やん!!

祇園祭やん!!!

ちょっと待ってやーまじうずうずする!

祇園祭だけは毎年なにがあっても赴いてた女です、

三日間行ったりもします、

五年間でゆかた着れるようになりました。

京都の祭りはちょっと冗長だから、

祇園祭のどこが楽しいの?っていう人もいると思うんだけど、

うちはとにかくあの雰囲気がたまらなく好き。

あー今頃ぼちぼち行事はじまってるんやろなー。

あー今年いけるかなー。行く人いるかなー。。。

①パスタ作って食べたら

超まずかった!!

失敗しないだろパスタは普通。

やっぱ創作したらダメなんだな料理は。



②世界不思議発見でスリランカやってるーまじ行きたい。

やっぱ今度はアジアだな。今度っていつだろ。

そろそろ夏の休暇がきまるはず。






いやはやインドに行くことが決断だとか転機だとかと呼べるほどのものなのか、

と思われるかもしれないが、私の中では実際そう呼ぶに値する。

以前ちょっと書いたインカトレイルもそうなんだけど、

『インドにいったことがある』というのは自分の中で大きな自信になってたりする。


半日潰して電車のチケットとったり、

飛び込みで宿とまったり、

盗難に気を使いながら10時間こえる寝台列車乗ったり、

40円をみやげ物屋のおじさんと争ったり、

日本人であることにほんとに泣いたり、


たくさんみた世界遺産はもちろん心に残ってるし感動したけど、

自信を形成してるのは、そこで見た景色とかじゃなくて『旅の日常』といえる些細なものばかり。

今思えばかなりリスクあるし、今だったらしないこともたくさんあるかも。


なんか大変なことあっても、思い出したら大丈夫って、思えるんよね。

よかったらインド記録 もみてくださいな。





インドからかえったのはたしか五月の半ば。

うちがかえった直後に、同居人は今度は世界一周の旅にでる。

おそらく同居人と住んだのは3日くらいじゃなかったかな。


そのあと

うちはバイトをひたすらすることになる。

激短バイトレポートを連載する!!とか言って、いろんなことに手をだし、

忙しくなりすぎて結局レポートできず、久しぶりに人間嫌いになったり、

お金はいつまでたっても貯まらず、勉強勉強の日々でした。

Nの決断③はバイトラッシュ。





一緒に住みだしたものの、うちは就活でかなりの割合で東京に行っていた。

多い時には一ヶ月の半分は東京。

というわけで実際はほとんど一緒にはいなかったとおもう。

それでもNビルにいるときは、いろいろ話をしたし、

面接や試験で帰ってきて、誰かがいるというのはやはりうれしかった。



四月に入り、いよいよ就活も終盤になってきた。

そのころちょうど桜が咲き始めて、ただ花見がしたい一心で、

すごいテンションで面接をこなしていったのを覚えている。


桜が散ってしまう前に内定がでて、花見に間に合った。

内定祝いにと、Nヲは鯛の頭を炊いてくれた。





Nの決断その②はインド行きを決めたこと。


何回か書いたかもしれないが、実はこのインドの旅が一人で全部やった初めての旅。

それまではツアーだったりキャンプだったり語学学校だったりで、

一人で、いわゆるバックパッカーの旅をするのは初めてだ。


インドはどうしても行きたかったのだけども、すごく怖かった。

治安の面でもいい噂はきかないし、

外務省の渡航安全のページを見たのは帰国した後だったけれども、

インドは全域に注意が出されているし、カシミールには退避勧告。

そして、実際にインドに行った人から

インドに飲み込まれたら精神的に帰れなくなる、というのを聞いていた。

内定が出たらどこかに行きたい、とは思っていたものの、

なかなか踏み切れなかったわけである。



しかし同居人は、四月にインドに行くという。


『じゃぁデリーで待ち合わせしましょうか』


その同居人の言葉で、勢いで行くことに決めた。




四月末に、またチームメイトに迷惑をかけながら新歓に出させてもらって、

ゴールデンウィークも終わるころ、デリーへと向かった。

機内で隣の席だったのは、OL二人組み。

3泊4日でデリーとその近郊の世界遺産都市を回るという。


『一人で行くんですか?』

『あ、はい、そうなんですー一応。』

『えーっすごいですね、勇気ありますね』

『あははー

         でも友達がデリーで待ってるんです』




空港のアライバルゲートには、インド人のツアーガイドたちにまぎれて、

私の名前と『Nビル』と書いたノートを持ったNヲが出迎えに来てくれていた。





Nの決断①は、どう考えても一緒に住むことを決断したことだ。

当時うちは越後屋ビルという、市役所横にすんでいた。

ドアを開けたらすぐ部屋の、バス・キッチン込みで35000の部屋。

ちなみにアンテナがなくてNHKしか映らなかった。

大家さんに自転車の止め方が悪いとブチぎれされたのが原因でマジで引越しを考える。

それまでにもいろいろいざこざはあったのだけれども。


そんな中、飲み会があって同居人、

というか当時は同居人ではなかったけれども、

同居人の家へ向かう。

そのとき、めちゃめちゃ仲がよかった、というわけではなかったかもしれない。

でも、一緒に住むことになった。ノリで。

いつのことだか正確にはおぼえてないけど、確か、夏だった。


ぼちぼち家探しを始めて、待ち合わせして体育館横の不動産屋にいった。

紹介してもらった物件は5件。

来たから順番に連れて行ってもらって、最後に案内されたのがNビル。


ドアをあけて中に入る。


まず大きな玄関と、目の前に独立したお風呂と洗面台とトイレ。

左手に10帖のリビング、さらに奥に8畳の和室。

右手に同じく8畳の和室。

ここに住むことはすぐ決まって、部屋割りはくじできめた。



引越しは12月末。

とりあえず自分が先に引越しした。

引越しのトラックが来て、荷物を搬入してると

大家さんが飛んできて、『あなた、引越しされるんですか?!』といふ。

てっきり不動産屋が連絡してると思ってたので、

直接は言ってなかったからかなりおどろかせてしまったようだ。

もう運び出してしまったものはしょうがないからと、

ごみを運ぶのを手伝ってくれた。



元同居人がNビルを出ることを決断したらしい。

自分はとっくに出てるくせにちょっとさみしい。

でも彼女のその決断はちょっとわくわくもする。


まぁそもそもなんで一緒に住んでたのかっていう話ですが、

思えば二人とも変な家が好きだったのと、

フィーリングで生きてたことと、

あとタイミングがたまたま一致したのと。


Nビルにはいろんな人が来て

いろんなことがあって

ただの一人暮らしだったらできないことが

たくさんあった。


Nビルで生まれた沢山の転機

Nの決断、とそれを呼んでみる。

きになるオセロみてましたら、

おいしいカツどんが作りたいって言ってました、山口もえが。

ほんで、おいしい店紹介、っていうので出てたカツどん屋さんが、



『。。。。こうやって低い温度と高い温度で2回揚げるんですー

そうすると火が通って綺麗な色にやけるんですよーーー。。。』



ていってた。







この温度を変えてとんかつ2回揚げる技、









ミスター味っ子か美味しんぼか忘れたけど、


とにかく漫画で見た!!絶対!!

主人公は、さもすごいこと考えましてんて感じで言ってたけど、

そしてなるほどねーと思ったから覚えてるけど、

とんかつ界では常識なのか?

それとも漫画がパクッたのか、それとも店長、あんたパクッたのか!?

いや、普通に思いついてたら大変失礼。

でも気になったあるよ。




そういえば、とんかつの店三ノ宮だったので、誰か一緒に行きましょう。

おなかすいてる時に。



 塩を運ぶために、ボリビアでは珍しく線路があるウユニ。


さて今回はウユニのお話です。


前回世界で一番高い都市、ポトシのお話をしたわけですが、

その時既に12月は大晦日でした。

その日のうちに今度はウユニという街へ移動。

この日は仮装パーティがあったり地元のバーに行ったりで、

ボリビアンミュージックとワインでカウントダウン。

そしてこんな地球の裏側で、2006年を迎えたのでした。



次の日は、コタツでごろごろ。。。。する暇も無く、出発。

おそらくボリビア最大の見所である、ウユニ塩湖への3泊4日のジープのツアーです。

ウユニの標高はほぼ富士山と同じ。

空が近くて青い。




ジープ三台で、ドライバー三人、料理してくれる人二人。

塩湖ってみなさん想像つきますでしょうか。

湖で、本来水がある部分に塩があるのです。

つまり、一面真っ白なんです。




また調子に乗ってる写真ですが。。

岸に近いからわかりにくいけども、ずっと向こうまで、塩塩塩でございます。


ほんとに別世界。

ここはほんとに、別の惑星かと。

全てが絵になるのです、映画のセットみたい。

電柱とか人間らしいものがほぼゼロ。




湖の横の、製塩所の少女。

観光客がいるからか、それとも生活が苦しいからか、

正月そうそう塩の袋詰めの作業を。

このことについては後ほどにしよう。言いたいことは沢山在るので。


とにかく1,2時間、塩の上をひたすら走って休憩、というスケジュール。

ジープはもちろん、狭くて暑い。

ただ、まわりの景色はとにかくすごくきれい。




しばらくすると、魚の島に到着。

そこはなぜか無数のサボテン。

伝説によるとインカの人が植えて行ったらしいけども、

ほんとに、『なんで?』て感じ。

ここ以外にサボテンが生えてるところ自体そうそうないので、

奇妙な景色がさらに深く見える。




ジープを停めてお昼ごはん。

ウユニ塩湖一番の見所なので、他のツアーの人も沢山。



お昼ごはんはこんな感じ。

基本的に素材の味がする。


その後もひたすら塩の上を走ってようやく対岸に到着。

明日以降はチリとの国境周辺まで、さらに奥地へと向かう予定。



宿泊するホテルは、塩で出来てる。

壁もいすもテーブルも。ベッドは木でしたけども。


ザくっとですがこんな感じでした今年の元旦。

実はすばらしい景色とウラハラ、精神的に一番しんどかった時期だったりする。

それは次回にまわすことにしましょうか。


今年初夕日。


ここの村に、電気はもちろんない。